2012年4月27日金曜日

アラブ イスラーム学院 サウジアラビア歴史


アブドルアジーズがサウディアラビア王国の建国を宣言した1932年は、1929年から1934年までの5年間にわたって全世界を襲った大恐慌の真っただ中にあった。

恐慌とは、過剰生産、倒産、価格の暴落、失業の増大などによる資本主義経済に固有の混乱状態をいう。第一次大戦後、米国産業界においてはベルトコンベア・システムの採用や生産の機械化の発達のため多数の労働者が失業して労働者数が減少したうえ、労働賃金が抑制されていたため国民の購買力が衰弱して、大量の滞貨が発生していた。さらに農業においても、労働人口の減少で食糧需要が伸びず、農産物も供給過剰となっていた。失業者の群が巷に溢れ、政治・社会不安は深刻化し、混乱の極に至る一触即発の危機� �はらんでいた。


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折しも1929年10月24日、ウォール街で株価が大暴落したのが引き金となり、恐慌はまたたく間に米国の全産業部門を襲い、さらに全世界の資本主義諸国に波及する未曾有の大恐慌となった。物価は下落して工業生産や貿易は著しく落ち込み、銀行や企業の倒産と失業者の続出で、世界は空前の不景気状態に陥った。この大恐慌は以後5年余り続き、その間に世界情勢に著しい変化をもたらした。

英、米、仏など先進資本主義国はこれまでの自由貿易を放棄して保護貿易政策に転じたり、本国と植民地を結ぶ経済ブロックをつくって、その内部での自給自足経済、いわゆるアウタルキーを営むようになった。一方、有力な植民地・市場や物資自� ��力をもたざる後進資本主義国の日、独、伊などは、他国への侵略と強制による広域経済圏を建設する動きの中からファシズム勢力が台頭し「持たざる国」の「持てる国」に対する敵対関係が進行していった。


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大恐慌はサウディアラビアにも多大の影響を及ぼした。かつては外の世界で起こることが広大なアラビア半島の中央部にまで波及して来ることはなかった。ところがアブドルアジーズがヒジャーズ地方を掌握・併合した1926年を境として、この国も権謀術数渦巻く国際関係の風浪の中に巻き込まれるようになり、アブドルアジーズも国際社会の動向を自分の国の発展と安全保障に密接に関係するものとして注意深く観察するようになっていた。サウディアラビアは世界の大恐慌と無縁ではいられず、国外からのマッカ巡礼者が激減するという大打撃をこうむった。1920年代の多い年には13万、少ない年でも10万を数えた巡礼者� ��1930年には5万、1931年には4万足らずに減少したのである。


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第一次世界大戦当時、アブドルアジーズの支配するナジドの歳入、それもナツメヤシしかないこの地方が得ていた収入は、英ポンド換算でわずかに16万ポンドに過ぎなかった。これに対してマッカを擁するヒジャーズ地方は同時期に、100万ポンドを優に越える歳入を得ていた。1926年にヒジャーズ地方を併合したアブドルアジーズが、1930年に同胞団の反乱を鎮圧できたのは、彼らが「不信心者の発明品」と呼ぶ西欧文明の所産である鉄砲、弾薬、自動車、電話、無線機器などを購入できる資金を持っていたからであった。


同胞団を鎮圧した今、アブドルアジーズは、政治的にも経済的にも黎明期にあったこの国の政治体制の整備と国土の近代化に専念しなければならなかった。それにはどうしても「不信心者の発明品」が大量に必要であり、それらを購入するには厖大な資金を必要とした。ところがこの国の経済は依然として牧畜と限られた場所での自給的農業の上に成り立っており、人口のほぼ半数が農民であったので、国庫収入はマッカ巡礼者から徴収する巡礼税と関税に頼らざるを得なかった。その巡礼税の収入が激減したのである。アブドルアジーズ王の近代国家構築の事業計画は崩壊の危機にさらされた。同胞団の反乱という厳しい試練を乗り切ったばかりのアブドルアジーズは、一難去ってまた一難� ��苦境に立たされたのである。


アブドルアジーズ王に天恵がもたらされたのはこのときであった。アッラーに絶対的に帰依服従し、アッラーを信頼し、国土統一の大事業をアッラーへの道と信ずる者の窮状をアッラーは決してお見逃しにはならなかった。アブドルアジーズがアッラーに寄せる信頼にアッラーはお応えになり、彼の近代国家構築の事業のために援助の手をさしのべられたのである。それが石油の発見であった。



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